研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


第15回国際石材保存修復会議(Stone 2025)における研究発表

口頭発表の様子
スタディツアーで訪問したノートルダム大聖堂

 令和7(2025)年9月8日から12日にかけて、フランス・パリのソルボンヌ大学で開催された「第15回国際石材保存修復会議(Stone 2025)」に参加し、口頭発表を行いました。
 石材や煉瓦で構成される彫刻や建造物の保存修復に関する国際的な会議で、4~5年ごとに開かれています。会議には、石材や煉瓦の劣化現象を研究する保存科学者や地質学者、保存修復の実務に携わる技術者、建築学・建築物理の専門家など多彩な参加者が出席しました。発表内容は、大気汚染や塩類風化による損傷の基礎研究や調査技術、新しい修復技術や保存処置の実践例、さらには持続可能な保存に向けた環境制御や気候変動の影響評価に至るまで幅広く、学際的な議論が交わされました。
 今回の発表では、保存科学研究センター・保存環境研究室で実施している岩窟内に建てられた仏堂の保存を目的とした岩窟内の空調に頼らない湿気環境改善の試みについて報告しました。発表後には、同様に高湿度環境に課題を抱える文化財の保存に携わる研究者や、持続可能な保存環境制御に関心を持つ研究者から多くの質問や意見をいただき、今後の共同研究の可能性についても意見交換を行うことができました。
 今後も研究成果の国外発信を積極的に行うとともに、各国の最新の知見を収集し、日本の文化財保存に活かしていきたいと考えています。

ゲッティ研究所の訪問と持続可能な保存環境管理に関する研究についての意見交換

ゲティ研究所での研究報告会の様子
研究者交流の様子

 地球温暖化が世界的な課題となる中で、平成26(2014)年には国際文化財保存修復学会(IIC)と国際文化財保存修復委員会(ICOM-CC)から共同宣言が行われるなど、資料保存の現場においても地球環境に配慮した持続可能な保存環境管理の在り方が求められています。保存科学研究センター・保存環境研究室では、こうした背景を踏まえ日本の文化財保存に適した持続可能な保存環境管理手法を探る研究を進めています。
 その一環として令和5(2023)年8月にゲティ研究所(Getty Conservation Institute)とオーストラリアのビクトリア国立美術館の共催で開催された、「気候変動下における管理戦略ワークショップ―持続可能な保存環境と資料の応答のモニタリング(Changing Climate Management Strategies Workshop:Sustainable Collection Environments and Monitoring Object Response)」に参加し、その後も継続してゲティ研究所の研究員と交流を続けてきました。
 令和7(2025)年9月24日~26日に、ロサンゼルスのゲッティ研究所(Getty Conservation Institute)を訪問し、ワークショップから2年を経て、東京文化財研究所とゲティ研究所それぞれにおける研究の進展について報告を行い、意見交換を実施しました。東京文化財研究所からは、保存環境研究室研究員・水谷悦子と客員研究員の京都大学大学院工学研究科准教授・伊庭千恵美が報告を担当しました。日本の気候条件や文化財の材料構造の特異性、損傷リスク評価に求められる計測手法などについて活発な議論が交わされました。
 ディスカッションの後には研究施設を見学し、多様な専門分野の研究者と交流する機会も得られました。日本の事例は温帯湿潤気候に属する国々における文化財の保存環境管理の問題を考えるうえで、有益な知見を提供するものです。今回の訪問を通じて、国際的な視点から保存環境研究を見直すとともに、今後の共同研究の方向性を探るうえで大変有意義な機会となりました。

南九州市、旧陸軍青戸飛行場に残るトーチカのコンクリート材料に関する現地調査

旧青戸飛行場に残るトーチカ。後ろには開聞岳が見える。
トーチカに混入するサンゴ(今回の調査で発見されたもの)
踏査の様子

 東京文化財研究所保存科学研究センター修復技術研究室では、南九州市との共同研究の一環として、同市内に残るアジア・太平洋戦争期のコンクリート構造物の保存に向けた調査を行っています。その中で、旧青戸飛行場に残る2基のトーチカについては築造時の記録がほとんど知られておらず、誰がいつ、何の目的で作ったのか、どんな材料が用いられ、それらはどこで調達されたのか、といったように分かっていない点が多くあります。
 令和7(2025)年9月、トーチカのコンクリート材料調達の一端を明らかにすべく、南九州市文化財課の坂元恒太氏、知覧特攻平和会館の八巻聡氏、神奈川県立生命の星・地球博物館の田口公則氏とともに現地調査を行いました。これまでの調査で、トーチカのコンクリートには、海棲と考えられる貝の破片、海岸で見られるような周囲がすり減った陶磁器やガラスの破片が混ざっていることが明らかでした。このことから、コンクリートを作る際に必要となる砂を近隣の海岸の砂浜から採取し、その際に貝殻、陶磁器破片やガラス破片が混入したものと推測していました。加えて、この度の田口氏の観察により、トーチカのコンクリートには1〜2mm程度の黒色砂や緑色透明のかんらん石(オリビン)の砂、そして珊瑚の破片が複数混入していることも判明しました。これらの組み合わせは開聞岳周辺の海岸で見られる堆積物との共通性が高かったため、この情報を新たな手がかりとして、近隣の海岸や河口を踏査しました。
 踏査の結果、開聞岳から北西に10kmほどに位置する浜で、トーチカに含まれる砂、貝や珊瑚、陶磁器、ガラスといった組み合わせと、よく似た構成の砂礫を確認することができました。またその場所はトーチカのある青戸飛行場と海岸とをつなぐ路線(石垣・喜入線 大正6〔1917〕年開通)があり、距離も5km程度と材料の調達・運搬に適していた場所であることも判明しました。
 現在、これまでの調査結果も踏まえながらこの度の調査結果を整理しており、近日中に報告書として刊行する予定です。

国際研修「紙の保存と修復」2025の開催

手すき和紙(本美濃紙)工房見学
装潢そうこう修理技術実習にて

 令和7(2025)年、国際研修「紙の保存と修復」を政府間機関ICCROM(文化財保存修復研究国際センター)と共催しました。今年は年8月25日から9月12日の日程にて、10名の研修生が参加しました。1992年に始まった本研修ですが、常に人気が高く、今年の応募者は166人でした。
 長い繊維が特徴であるコウゾで作られる和紙は、薄くて丈夫で、耐久性があり、文化財を損傷しない安全性の点からも優れています。そのため、各国々の美術品などの修復に用いられます。研修では、紙や文化財保護制度に関する講義や、国の選定保存技術である「装潢そうこう修理技術」の実習を行いました。研修生は既に、紙の保存修復家として経験を積んできていますが、修復実習では、日本の道具や材料の使い方を含む正しい情報を確認する機会になりました。終了後のアンケートにおいても好評で、帰国後に同僚や教え子と経験を共有するとともに、知人にも本研修を勧めるとのことでした。
 また、本研修では、研修生同士、研修生と日本の専門家である講師、現地見学での修復材料や道具の製造者との交流も目的にしています。このような交流は、参加者にとって利益になるだけではなく、日本の専門家や道具材料の製造者にとっても、良い機会になります。国内外の文化財保存修復の担い手、文化財を修復するための道具や材料の作り手の懸け橋になることも念頭に置き、今後の研修も行っていきたいと考えています。

スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査(その7)

ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡でのクリーニングテスト
セリヌンテ遺跡公園収蔵庫でのスタッコ装飾調査

 文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」の一環として、スタッコ装飾および塑像に関する研究調査を進めています。
 ギリシャ・ローマ時代の考古遺跡を対象とした研究を推進するため、令和7(2025)年9月8日から26日にかけてイタリアを訪問し、ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡、ポンペイ遺跡公園、セリヌンテ遺跡公園を訪問しました。
 ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡では、東京大学を中心とする調査団によって発掘されたローマ時代の装飾門を対象に、前年度に作成した研究計画書に基づき、設置されているスタッコ装飾の技法や材料に関する調査を行うとともに、現代的な保存修復手法に関する各種実験を実施しました。
 一方、シチリア島のセリヌンテ遺跡公園では、管理所長と面会し、本研究の趣旨および目的についてご説明させていただきました。内容をご理解・ご納得いただいた結果、遺跡公園が所蔵するギリシャ時代のスタッコ装飾を研究対象とすることについて正式な同意を得るとともに、全面的なご協力をいただけることとなりました。また、神殿に使用されている石灰岩に物理的および化学的要因による劣化がみられることから、その劣化抑制方法についても研究してほしいとの要望がありました。
 さらに、パレルモ文化財監督局においても、本研究の趣旨をご理解のうえご検討くださり、彼らの管轄下にあるパレルモ近郊のローマ時代遺跡についても研究対象として検討してはどうかとのご提案をいただきました。
 以上のように、本研究の意義に対する理解と協力の輪が、関係機関を中心に着実に広がりつつあることが確認されました。今後は、今回訪問した各遺跡を主軸にギリシャ・ローマ時代のスタッコ装飾の技法および材料に関する比較調査を継続し、その構造や特性についての理解を深めるとともに、これらの保存修復方法やサイトマネジメントのあり方についても研究を進めていく予定です。

セインズベリー日本藝術研究所との研究協議

研究協議の様子

 令和7(2025)年8月5日、イギリス・セインズベリー日本藝術研究所(SISJAC)の所長サイモン・ケイナー氏と研究員であるユージニア・ヴォグダノワ氏が東京文化財研究所を来訪し、共同研究「日本芸術研究の基盤形成事業」に関する協議を行いました。平成25(2013)年から開始した本事業では、SISJACの職員からイギリスを中心とした日本国外における日本美術研究に関する文献や展覧会情報を、総合検索(https://www.tobunken.go.jp/archives/)に提供してもらっているほか、文化財情報資料部の研究員が毎年イギリスを訪れて講演会やワークショップ、作品調査を行っています。
 今回の研究協議ではデータベース事業の報告のほか、12月に予定されている研究員の訪英について話し合いました。協議の後半では、データベース事業を担当しているSISJAC職員のマシュー・ジェームズ氏がイギリスからオンラインで参加し、日本国外における情報収集の方法や基準、またデータの入力方法について具体的に検討することができました。移動が制限されたコロナ禍の3年間は渡英や訪日が叶わず、研究協議は主にオンラインで行なっていました。現在は職員同士の対面での研究交流を再開することができましたが、特に海外の連携機関とはオンラインを併用して協議を行うなど、今後も利便性を図りつつ交流を続けてまいります。

松島健旧蔵資料の公開

資料の一部
手書きノート

 東京文化財研究所では、かつて在籍した職員や研究者の文化財研究に関わる資料を収蔵し、その整理と公開に努めています。令和5(2023)年に寄贈を受けた故・松島健氏の資料もそのようなOB・OG資料のひとつであり、この度整理が終わってすべての資料を公開いたしました(松島健旧蔵資料 :: 東文研アーカイブデータベース)。仏教彫刻史を専門とした松島健氏は文化庁美術工芸課主任文化財調査官を経て東京国立文化財研究所情報資料部長を務めましたが、病のため1998年に逝去されました。ご遺族から資料の寄贈を受けて以来、少しずつ整理を進めておりましたが、この度すべての資料を公開する運びとなりました。その内容は文化庁時代に松島氏が携わった文化財指定の資料や修理記録、研究資料、紙焼き写真、仏像の調査記録、直筆の研究ノート等、文化財行政官としてあるいは彫刻史研究者としての営為を示すものです。寄贈された当初から資料の大部分は分類され、あるいは年代ごとにファイルに収められており、また、制作年代の判明する仏教彫刻を自ら年表としてまとめた手書きノートなどからは研究者としての松島氏の几帳面かつ真摯な人柄が偲ばれました。研究者が遺したこのような資料群には貴重かつ唯一無二の情報が含まれていますが、ともすると管理・公開する場に恵まれず、最悪の場合は廃棄されてしまうことがあります。東文研は創設期から美術資料のアーカイブ構築を使命としてきた機関であり、人手や予算は決して潤沢ではありませんが、これからも研究資料の蒐集と公開に取り組んでまいります。

長谷川公茂氏旧蔵円空資料の寄贈

資料の一部
資料整理の様子

 長谷川公茂氏(1933〜2023)は、在野の研究者として江戸時代の仏師・円空の研究に生涯に亘って取り組み、長く円空学会の理事長を務めました。円空(1632〜95)は修験道の僧侶として全国を行脚し、訪れた土地で造った仏像は現在でも全国に数千体が残されています。長谷川氏の没後にご遺族から寄贈の相談を受けて、文化財情報資料部の米沢玲が奈良国立博物館の三田覚之氏とともに資料の整理のために定期的に愛知のご自宅を訪れて作業をしてきましたが、令和6(2024)年10月に正式に寄贈を受けたのち、このたびすべての資料を受け入れることができました。全国の円空仏を訪ね歩き、写真撮影や調査記録の作成を続けてきた長谷川氏のご自宅には膨大な資料が遺されていました。入手が困難な文献資料や各地の円空仏の写真資料はもちろん、中には盗難などによって失われた作品の写真も含まれており、円空研究においてまさに一級の資料群といえます。整理作業には東京文化財研究所の江村知子、田代裕一朗、黒﨑夏央、そして関西学院大学の大﨑瑠生氏が参加した他、生前の長谷川氏と円空研究を共にした舩橋昌康氏、加藤奨氏、落合克吉氏にご協力をいただきました。多くの人に活用していただくためにも、これから数年をかけて資料の整理に取り組み、円空アーカイブとして公開できるよう務めてまいります。

スーダン共和国の文化遺産保護に係るワークショップとシンポジウム

ワークショップの様子
シンポジウムの様子

 東京文化財研究所は文化庁文化遺産国際協力拠点交流事業を受託し、令和7年(2025年)度に「スーダンの文化遺産専門家等の能力強化ワークショップ事業」を実施しています。このたび本事業の一環として、8月13日から16日にかけて東京文化財研究所で4日間のワークショップを実施するとともに、16日午後には関連シンポジウムとして「紛争下の被災文化遺産と博物館の保護―スーダン共和国の事例から」を開催しました。
 スーダン共和国では2023年4月に武力紛争が勃発し、今なお多くの文化遺産や博物館が危機的な状況にさらされています。こうした武力紛争下にある文化遺産を守るために、スーダンと日本の文化遺産専門家がどのように協力出来るかを議論することが、本事業の目的です。
 本事業では、スーダン人専門家3名と、イギリス人専門家1名を日本に招へいし、日本側からは6名の専門家が参加しました。4日間のワークショップでは、スーダンの文化遺産の現状についての情報が共有されるとともに、その保護に必要な国際支援の具体的な方法について議論が行われました。
 関連シンポジウムは、ICOM 日本委員会と日本イコモス国内委員会の共催で行われました。そこではスーダン人専門家3名によるスピーチに加え、5名の日本人発表者から武力紛争下における文化遺産保護と国際協力のための提言がなされました。本シンポジウムには一般に公開され、70名の参加者がありました。参加者からは、日本ではほとんど知られていないスーダンの状況を知ることが出来る良い機会であったとの意見を多く聞くことが出来ました。
 現地での状況は未だに予断を許しませんが、一方で博物館の復興をはじめとしたさまざまな取り組みも始まっています。本研究所も引き続き、スーダン共和国の文化遺産保護の国際協力事業を行っていきたいと考えています。

「伝統的酒造り」の調査(日韓無形文化遺産研究交流)

酒蔵での聞き取り調査(奈良県御所市)

 東京文化財研究所の無形文化遺産部と大韓民国国家遺産庁無形遺産局は2008年より研究交流事業を継続的に実施しています。その中には、お互いのスタッフを相手方機関に二週間から四週間ほどの間派遣し、共同研究を行うという派遣交流事業もあります。令和7年(2025)度は韓国側から曹善映氏が7月14日から8月2日にかけて派遣され、日本の「伝統的酒造り」に関する共同研究を実施しました。
 日本では「伝統的酒造り」が2021年に国の登録無形文化財に登録され、その後2024年にユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されたことは記憶に新しいでしょう。韓国でも文培酒ムンベジュ(平安道地方の蒸留酒)、沔川杜鵑酒ミョンチョン・ドゥギョンジュ(忠清南道沔川地方の清酒)、慶州校洞法酒キョンジュ・キョドンポプチュ(慶尚北道慶州市の清酒)が保有者(保有団体)を認定する種目として、マッコリ造りが保有者(保有団体)を認定しない伝承共同体種目として、それぞれ国家無形文化遺産として指定されており、その保護と活用が進められているとのことです。
 現地調査は、福島県会津若松市と喜多方市、兵庫県西宮市、京都府京都市、奈良県御所市、および東京都内で行われました。そこでは実際に酒蔵や酒造会社を訪問して、酒造りに携わっている方々にインタビューを行い、伝統的酒造りのわざの現状や課題、展望について話を聞くことが出来ました。
 そうしたお話を伺う中で興味深かったことは、「伝統的酒造りといっても、機械化や自動化が出来るところは積極的に導入している。しかし味を調整するための判断は人間しか出来ない。人間が関わる部分は変わることはないし、それが伝統だと思っている」というお話を、訪れた先々で聞くことが出来たことでした。それは工場で大規模生産を行なっている酒造会社からも、十数名のスタッフで小規模生産を行なっている酒蔵からも、同じ話を伺うことが出来ました。
 私たちはともすれば「伝統」というものを、昔ながらの形を変えずに守っていくことと思いがちです。しかし無形文化遺産は現在も生きている遺産であり、変化していくことが継続につながっていることも多いのです。私たちはこの共同研究を通じて、あらためて無形文化遺産の本質について問い直す機会を得ることが出来ました。
 なお曹善映氏による調査成果は8月1日に東京文化財研究所にて口頭発表されました。今後、本事業の成果は報告書『日韓無形文化遺産研究報告』にまとめられる予定です。

“南方”を視覚化する―令和7年度第4回文化財情報資料部研究会の開催

研究会、呉景欣氏発表の様子
三水公平のスケッチより。右上に「十月 於ジョグジャカルタ」と記され、1942年10月にインドネシアのジョグジャカルタで描かれたものであることがわかります。

 今年の4月から8月までの5か月間、米・ラトガース大学アソシエート・ティーチング・プロフェッサーの呉景欣(ウー・ジンシン/Wu, Chinghsin)氏が来訪研究員として当研究所を拠点に活動されました。近代美術を専門とする呉氏は2007年にも当研究所の来訪研究員として来日し、古賀春江を中心とする日本のシュルレアリスムについて調査研究を進めましたが、この度の滞在では、近代日本美術における台湾のイメージを研究課題として取り組みました。
 7月17日には、呉氏と山梨県立美術館学芸員の森川もなみ氏の発表による文化財情報資料部研究会をオンライン併用で開催しました。呉氏は「近代日本画家の台湾における活動と画業の発展-木下静涯と同時代の日本画家たちの渡台前後の作品を中心に」のタイトルで発表、植民地時代の台湾で活躍した日本画家の木下静涯(1887~1988)や郷原古統(1887~1965)を取り上げ、渡台後の画題や画風にみられる変化について考察しました。森川氏の発表「三水公平の南方従軍スケッチ―戦時下における日本の占領地・植民地の記録」では、油彩画家・三水公平(1904~1997)による戦時下の従軍スケッチを紹介し、インドネシアやシンガポール、台湾、満洲等で制作されたスケッチに、日本の占領地の様子を視覚的に伝える歴史資料としての価値があることを指摘しました。発表後のディスカッションでは、戦前期の日本人画家による“南方”のイメージについて発表者の間で意見を交換、さらに所内外の研究者も交え、静涯や古統のとくに花鳥画に見られる画風や、戦時下の占領地における三水のスケッチの意義について議論を重ねました。

「令和7年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)」の開催

所内見学の様子
文化財の科学調査に関する講義の様子
保存環境に関するグループ討論の様子
屋外資料の劣化と保存に関する講義の質疑応答

 令和7(2025)年7月7日~11日に「令和7年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)」を開催しました。
 昭和59(1984)年以来、東京文化財研究所で開催してきた「博物館・美術館等保存担当学芸員研修」は、令和3(2021)年度より「基礎コース」「上級コース」として再編され、博物館・美術館等で資料保存を担当する学芸員等が、業務に必要となる知識や技術について、基礎から応用まで、幅広く習得できることを目的として実施しています。「基礎コース」は保存環境を中心とした内容で文化財活用センターが担当し、「上級コース」は保存環境だけでなく文化財保存全般を当研究所保存科学研究センターが担当し実施しています。
 令和7年度の上級コースでは、保存科学研究センターで行っている各研究分野での研究成果をもとにした講義・実習や外部講師による様々な文化財の保存と修復、文化財レスキューに関する講義を実施しました。特に今年度はカビに効果のある燻蒸剤の使用ができなくなったことから代替に関する講義・実習に関心が多く寄せられました。

  • 文化財修復原論
  • 文化財の科学調査
  • 空気質(空気質について/空気汚染の文化財の影響/換気の考え方)
  • 保存環境に関する理論と討論
  • 文化財IPM概論・実習
  • 修復材料の種類と特性
  • 屋外資料の劣化と保存
  • 近代化遺産の保存
  • 多様な文化財の保存と修復
  • 博物館の防災
  • 民具の保存と修復
  • 大量文書の保存・対策
  • 紙本作品等の保存と修復
  • 写真の保存・管理

 受講生からは、「自館に限定することなく、地域全体の文化財保存で活用できる多くの知見に触れられたことから、周辺の学芸員とも情報を共有するなどして、より広い視点から今回の研修で得た知識を活かしていきたい」「研修期間を通じて受講者同士のつながりもでき、実務上の問題をより専門的に相談し合える同じ立場の仲間を全国に得る良い機会となりました」等の意見をいただき、この研修の目的の一つである、他館とのつながりを作る絶好の場となったことが窺えました。また、講義だけでなく、討論や実習の機会がもう少しあると良いという意見もあり、今後さらに研修内容を充実させていけるよう検討していきたいと思います。 

聖ミカエル教会(ケシュリク修道院)での保存修復共同研究(その2)

壁画のクリーニング前後の様子
作業風景
クリーニング後のアプシス

 文化遺産国際協力センターでは、トルコ共和国のカッパドキアに位置する聖ミカエル教会(ケシュリク修道院内)を対象に、トルコ国内外の専門機関や大学と協力しながら内壁に描かれた壁画の保存修復に関する共同研究事業を進めています。

 令和7(2025)年6月21日から7月15日にかけて現地調査を実施し、前年度の実地研究に基づいて策定した保存修復計画に従い、教会建築におけるアプシスを中心とした壁面のクリーニング作業および、身廊(しんろう)部分における剥落の危険性が高い漆喰層の補強処置を行いました。この教会の壁画は、100年以上にわたり厚い煤(すす)に覆われ、その全貌を目にした者はいません。今回のクリーニングにより、長年にわたり堆積した煤汚れを安全かつ慎重に除去した結果、壁画本来の色彩や細部の描写が鮮明に浮かび上がりました。これにより、当初の意匠や制作技法について詳細な検証が可能となり、壁画の制作年代や様式的特徴に関する新たな知見が得られました。なかでも、本研究を通じて体系化された保存修復の技術的アプローチが、実地作業を通じてその有効性を実証した点は、学術的・実務的に極めて意義深い成果であるといるでしょう。

 本共同研究は、東京文化財研究所を中核機関とし、トルコ国内外の専門機関および大学との連携のもとに推進されている国際的な保存修復プロジェクトです。今回の作業においては、壁画の保存修復過程における状態把握を目的として、保存科学的手法や三次元計測技術を導入し、対象を科学的・物理的側面から多角的に検証しました。このように、複数の視点から対象を精緻に把握しつつ、壁画の特性に即した保存修復方法の確立を目指す本プロジェクトの取り組みは、トルコ国内においても前例のない先駆的事例として高く評価されており、大きな注目を集めています。今後も、こうした期待に応えるべく、文化財の保存と活用に資する有意義な活動を継続的に展開していきたいと思います。

第47回世界遺産委員会への参加

第47回世界遺産委員会の会場となったユネスコ本部
第一会議場での審議風景

 令和7(2025)年7月6~16日、第47回世界遺産委員会がパリのユネスコ本部で開催され、東京文化財研究所から3名がオブザーバーとして参加しました。今回の委員会は当初、議長国を務めるブルガリアでの開催予定でしたが、保安上の理由から準備途中で会場が変更となりました。

 会議の冒頭、通常は形式的な議事の承認が進むところで、トルコによるNGO「ティグリス救済財団」のオブザーバー参加拒否や韓国による「明治日本の産業革命遺産」の委員会決議の履行に関する議題の追加要求が行われる、波乱の幕開けとなりました。議題の追加要求は、予定時間を大幅に超過して議論が尽くされましたが合意に至らず、委員国の秘密投票の結果、否決されました。一方、オブザーバー参加拒否は、ほぼ議論がないまま当該団体が参加者リストから抹消されたため、締約国からは委員国の対応を遺憾とする発言が相次ぎました。

 登録遺産の保全状況では、56件の危機遺産を含む248件が審議され、3件が晴れて危機遺産リストから除外されました。近年の委員会では危機遺産リストに記載されたままの遺産の増加が問題視されており、危機遺産を脱するための締約国の取り組みが強く求められるようになっています。遺産の新規登録では31件が審議され、26件が登録となりました。このうち諮問機関が登録を勧告したのは16件で、委員会で勧告が覆される傾向が依然として続いています。ただし、保全状況等に関する勧告に従った修正を含めての登録も多く、諮問機関の評価と締約国の認識との乖離の解消に向けて一定の改善がみられたともいえます。今回の登録で、シエラレオネとギニアビサウが新たに加わり、196の締約国のうち世界遺産を保有する国は170となりました。登録遺産の地域的な偏りは世界遺産リストの代表性を損なうものとして委員会での積年の課題となっており、諮問機関によるギャップ分析の更新など不均衡を是正するための取り組みが続けられています。

 このほか、ユネスコ日本信託基金の支援をもとに5月にナイロビで行われたアフリカの遺産のオーセンティシティに関する国際会議の成果文書が、賛否の分かれる議論を経て最終的に採択に至ったことは、今後の世界遺産の評価基準に変革をもたらす画期を予感させるものでした。

 次回の世界遺産委員会は、来年7月に韓国・釜山で開催される予定です。当研究所では、今後も世界遺産をとりまく動向を注視し、関係する情報の収集と分析、発信に取り組んでいきます。

『日本美術年鑑』の現状と課題―令和7年度第3回文化財情報資料部研究会の開催

試作中の日本美術年鑑所載文献データベース

 『日本美術年鑑』(以下、『年鑑』https://www.tobunken.go.jp/joho/
japanese/publication/nenkan/nenkan.html
)は日本国内における一年間の美術界の動向を一冊にまとめたデータブックで、昭和11(1936)年に東京文化財研究所の前身である帝国美術院附属美術研究所で初めて刊行されて以来、現在も刊行が続けられています。2025年1月刊行の令和4年版からは、長らく『年鑑』を構成していた項目のうち「定期刊行物所載文献」を掲載せず、データベース上でのみ公開するという大幅なリニューアルを行いました。
 令和7(2025)年6月5日に開催された文化財情報資料部研究会では、黒﨑夏央(当部アソシエイトフェロー)が「『日本美術年鑑』の現状と課題」と題して発表を行いました。この度の『年鑑』のリニューアルについて報告するとともに、今後の『年鑑』の課題についても検討しました。東京で入手できるメディアを情報源としている『年鑑』に掲載される展覧会情報は、おのずと関東地域に偏るという問題点があります。その打開策のひとつとして、他機関との連携による新たな情報収集を提案しました。発表後のディスカッションでは、当研究所で『年鑑』の刊行を続け、編年的な歴史記録を編んでいくことの意義や、他機関との連携に際して予想される問題点などについて意見が交わされました。
 今後は、『年鑑』独自の項目である「展覧会図録所載文献」のさらなる充実を目指すとともに、美術界を記述・把握するためにこれまで培ってきた分類体系を反映したデータベースの構築と、所内で入力した「定期刊行物所載文献」の情報を即時に公開する仕組みの導入を考えています。長い歴史を歩んできた『年鑑』の刊行事業を継続するだけでなく、現代的な情報提供のあり方をふまえて、多くの方にとってより利用しやすい情報発信ができるよう努めてまいります。

韓国・国立文化遺産研究院からの来訪

 6月11日(水)、韓国・国立文化遺産研究院から研究員の来訪がありました。
 国立文化遺産研究院は、韓国の様々な文化遺産の研究調査をおこなう、国家遺産庁傘下の機関です。1969年に設置された「文化財管理局文化財研究室」にルーツをもつ同機関は、現在、2課6室1チーム(行政運営課、研究企画課、考古研究室、美術文化遺産研究室、建築文化遺産研究室、保存科学研究室、復元技術研究室、安全防災研究室、デジタル文化遺産研究情報チーム)体制で運営しており、さらに地方に7ヶ所の研究所(慶州、扶余、加耶、羅州、中原、ソウル、完州)と文化遺産保存科学センターを擁する機関です。
 同研究院では、2023年よりアメリカのゲッティ研究所が運営管理する「ULAN」(Union List of Artsist Names: 芸術家の人名情報を提供するデータベース https://www.getty.edu/research/tools/vocabularies/ulan/)に韓国の美術家に関する情報を提供しています。一方、当研究所ではこれに先立ち、2016年よりゲッティ研究所と共同事業に取り組んでおり、「GRP」(Getty Research Portal: 世界各地に所蔵される美術関連図書のデジタルコレクション https://portal.getty.edu/)に所蔵図書のデジタルデータと書誌情報を提供してきた実績があり、そのような先行事例として今回の来訪に至りました。
 キム・ウンヨン室長(美術文化遺産研究室)をはじめとする5名の研究員は、橘川英規(文化財情報資料部近現代視覚芸術室 室長)と田代裕一朗(文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室 研究員)による案内のもと、当研究所での取り組みについて説明を受けたのち、意見交換をおこないました。国は違えど、東アジアという文化圏のなかで共通項も多いそれぞれの美術文化について、どのようにしたら情報を効果的に欧米圏に発信できるのか、また今後お互いに協力できることはあるのか、活発に意見を交わすことができました。
 当研究所は、ゲッティ研究所と共同事業をおこなっている日本国内唯一の機関です。そのようなプライオリティをもとに、さらに交流の輪を諸外国に広げていきながら、日本と海外を繋ぐ研究交流の「ハブ」としての役割も果たすことで、当研究所がより多角的に日本の学術に寄与できれば幸いです。

[GRPにおける当研究所所蔵資料のコンテンツ]
博覧会・展覧会資料 Japanese Art Exhibition Catalogs(951件)
明治期刊行美術全集 Complete series of Japanese Art of Meiji period (64件)
印譜集 Compilation of Artist’s Seals(85件) 
美術家番付 Ranking List of Japanese Artist(61件)
織田一磨文庫 Oda Kazuma Collection (135件)
前田青邨文庫 Maeda Seison Collection(269件)
貴重書 Rare Books (335件)
版本 Japanese Wood Print Books(210件) 

韓国における美術アーカイブの現況調査

資料閲覧端末を案内するキム・ダルジン所長(キムダルジン美術研究所)
イ・グヨル寄贈資料の保存状況を案内するイム・ジョンウン研究員(Leeum美術館)
美術アーカイブの現況を説明するイ・ジヒ学芸研究士(国立現代美術館)

 文化財情報資料部のプロジェクト「文化財に関する調査研究成果および研究情報の共有に関する総合的研究」(シ01)では、国内外諸機関と連携しながら、当研究所の文化財に関する調査研究の成果・データを国際的標準に見合うかたちに整え、効果的に共有していくための研究を行っています。
 令和7年度は、ITそして文化面での取り組みが近年注目される韓国(大韓民国)における美術アーカイブの現況を調査するため、6月23日(月)から26日(木)まで、橘川英規(近現代視覚芸術室長)と田代裕一朗(文化財アーカイブズ研究室 研究員)の2名が韓国を訪問しました。
 両名は、まず韓国における美術アーカイブの先駆けというべき「金達鎮美術研究所」を訪問し、キム・ダルジン所長、アン・ヒョレ主任と面会しました。同研究所は私設のアーカイブですが、笹木繁男寄贈資料の受入などを通して現代の美術作家資料を収集してきた当研究所との共通点が多く、資料の保存と活用に関して有益な意見交換を行うことができました。続いて韓国の代表的な私立美術館である「Leeum美術館」を訪問し、イム・ジョンウン研究員による案内のもと、資料閲覧室について伺うとともに、韓国を代表する現代美術評論家であった李亀烈(イ・グヨル、1932~2020)寄贈資料などオーラルヒストリーの実施と合わせて収集されたアーカイブ資料などを見学しました。さらに2023年にソウル市立美術館が新たにオープンした「ソウル市立美術アーカイブ」を訪問し、ユ・エドン学芸研究士、チョ・ウンソン記録研究士と面会し、韓国における最新の資料保存設備とそれにともなう管理システム、またAIを活用して構築された美術に関するシソーラス(美術知識の体系的語彙構造システム)を視察することができました。そして韓国を代表する近現代美術館である「国立現代美術館」を訪問し、イ・ジヒ学芸研究士による案内のもと同館のアーカイブを見学しました。国立現代美術館は、日本の「現代美術館」とは異なり、19世紀末以降のいわゆる近代美術もその範囲に含めている点が特徴です。果川館、徳寿宮館、ソウル館それぞれの施設を見学したのち、キム・インへ学芸室長と面会し、両館が有する資料の特性を踏まえた美術アーカイブの構築について意見交換をおこなうことができました。
 韓国では2000年代以降、美術アーカイブの整備が急速に進んでいます。AIなど先進的なデジタル技術を活用した資料の保存と活用はもちろん、大学院等で記録・文書保存を専門的に学んだアーキビスト(archivist)が、各所でアーカイブの運営に携わっている点が注目されました。
 今回の現況調査は、日本における美術アーカイブの未来を考えるうえで大きな収穫がありましたが、同時に当研究所のソフト・コンテンツを改めて認識する機会にもなりました。国立現代美術館では「超現実主義と韓国近代絵画」展(4月17日~7月6日、徳寿宮館)が開催されていましたが、展示を企画したパク・ヘソン学芸研究士は、昨年11月に当研究所で、戦前に日本で活動した韓国人学生などの資料調査をおこなった研究者でした。久々に再会を果たすとともに、同氏による案内のもと、調査成果が還元された展覧会を見学する貴重な機会を得ることができました。
 当研究所が1930年以降蓄積してきた資料には、東アジアの近代を考えるうえで貴重な資料も多数含まれています。長年にわたる近代美術資料の集成や、近年進めているアーカイブズの公開を通じて、こうした資料の重要性に着目し、それを研究に活用しようとする動きが東アジアの研究者のあいだにも広がりつつあります。引き続き、諸機関と連携しながら、それらを効果的に発信することで国際的な認知を高めると同時に、広く研究者に活用してもらうことで東アジアの近代美術史研究に資することができれば幸いです。

タイ王室第一級寺院ワット・ラーチャプラディットの日本製漆扉部材の保存と材料に関する調査

床の隙間から侵入したシロアリの食痕の目視調査と生体の観察
食害のある漆扉部材の目視調査とサンプリング箇所の確認
彩漆蒔絵による装飾の目視調査

 タイ・バンコクに所在するワット・ラーチャプラディットは1864年にラーマ4世王によって建立された王室第一級寺院です。寺院の拝殿の窓や出入口には、建立当初から多数の日本製の漆塗りの部材(以下、漆扉部材)がはめこまれています。漆扉部材は伏彩色螺鈿や彩漆蒔絵で花鳥や中国の故事などが描かれた装飾性の高いものですが、年月を経て傷みが生じているため、タイ文化省芸術局が修理を行い、当研究所は修理に対する技術協力や調査研究を行っています。
 人々の祈りの場である拝殿の雰囲気を保つため、修理が終わった漆扉部材は元の位置に戻します。しかし、漆扉部材には虫損と思われる傷みも確認され、何の対策もせず部材を元の位置に戻しても同様の損傷が生じうることから、漆扉部材の現地保存のための調査研究を同寺からの受託研究として立ち上げ、令和7年(2025)6月9日~11日に現地調査を行いました。
 現地では、拝殿の状況やシロアリ等の木材を食害する生物の有無の確認、虫損が見られる漆扉部材の目視調査を行いました。当初、部材の虫損が最近のものではなく、すでに収束している可能性も考えましたが、調査の結果、床のわずかな隙間から建物内にシロアリが侵入しており、食害を受けるおそれがあることがわかりました。今後、とりうる対策をタイ側に提案し、漆扉部材の現地保存に役立てていただく予定です。
 また漆扉部材に関する調査も併せて行いました。漆扉部材に用いられた材料や技法については不明な点が存在するため、目視調査を実施し、採取した少量の脱落片については科学分析を予定しています。得られた結果を通じて、今後の漆扉部材の修理や復元の方針について提言していく予定です。

標津町でノリウツギ採取の動画記録撮影と普及事業の視察

加工したスプーンで樹皮を剥ぐ
外皮を剥いで内皮を取り出す
福西氏と和紙漉く真剣な面持ちの子どもたち
福西氏の説明に聞き入るノリウツギ採取に関わる方々

 文化財修復に用いられる宇陀紙を漉くためには、ノリウツギから得られる「ネリ」が欠かせません。初夏の強い日差しのもとでノリウツギの樹皮を剥ぎ取り、外皮を丁寧に手作業で削って内皮を取り出してくださっているのが北海道・標津町(しべつちょう)の方々です。また、野生株に頼らない栽培のために、ノリウツギの苗木づくりも始動しています。
 令和7(2025)年6月24~27日、東京文化財研究所の研究員・アソシエイトフェローの4名(保存修復センター分析科学研究室長・西田典由、同センターアソシエイトフェロー・一宮八重、無形文化遺産部無形文化財研究室長・前原恵美、同部アソシエイトフェロー・小田原直也)が、標津町でのノリウツギの樹皮剥ぎ取り、外皮削りの工程を視察し、苗木作りの様子や関係者の談話と併せて記録撮影しました。また、標津町文化ホールで行われた小学生・一般を対象とした福西正行氏(国の選定保存技術「表具用手漉和紙(宇陀紙)製作」保持者)によるワークショップ等の普及事業にも参加、その様子も映像に収めました。これらの映像は、今後編集を経て、文化財の継承にかかる研究・教育・普及のために活用される見込みです。
 令和5年(2023)11月2日、当研究所は標津町との間で文化財修復材料の連携・協力に関する協定書を締結しました。ノリウツギを安定的に確保するための取り組みや普及事業を記録・発信していくことも、こうした連携・協力に資することが期待されます。

渡良瀬遊水地のヨシ調査―篳篥の蘆舌原材料

ヨシの外径計測(栗田商事にて)
すでに3mを超すほど育っているヨシ

 無形文化遺産部では、無形文化財を支える原材料調査の一環として、篳篥(ひちりき)の蘆舌(ろぜつ)に使用されるヨシの調査を行っています。このたび、篳篥(ひちりき)演奏家で蘆舌(ろぜつ)も製作される中村仁美氏に同行していただき、令和7(2025)年6月16日、渡良瀬遊水地のヨシ原で調査を実施しました。平成24 (2012)年7月にラムサール条約湿地に登録された渡良瀬遊水地は、全面積のうち2,500haが植生に覆われ、その約半分がヨシ原とのことですから、日本有数規模のヨシ原と言えます。
 今回の調査では、まず栗田商事株式会社を訪問し、篳篥の蘆舌に適した太いヨシを選別し、試材として提供していただきました。今後、複数の蘆舌製作者に試作を依頼し、蘆舌としての渡良瀬のヨシの適性を検討する予定です。
 渡良瀬遊水地では、近隣4市2町(栃木県栃木市・小山市・野木町、群馬県板倉町、茨城県古河市、埼玉県加須市)の行政、地元自治会代表、関連団体から成る渡良瀬遊水地保全・利活用協議会が組織されています。協議会はオブザーバーに国交省、環境省を迎え、環境学習のガイドブック作成等による啓蒙活動を行いながら渡良瀬遊水地の将来像を考えたり、イノシシによる獣害や治水について議論を重ねて要望書を提出したりしているとのことです。
 また、ヨシ原を健全に保つためには毎年ヨシ焼きを実施する必要がありますが、渡良瀬では関連する4市2町と関係消防署、渡良瀬遊水地利用組合連合会、アクリメーション振興財団、利根川上流河川事務所でヨシ焼き連絡会を作り、ヨシ焼きを実施しています。
 国産ヨシの需要は限定的でヨシ・オギの事業者が5軒にまで減少する中、事業者、行政、自治会、関連団体とのネットワークによって渡良瀬のヨシ原が保たれ、その理解促進のための試みが続いています。一部の雅楽演奏家に篳篥蘆舌に向いているとも言われる渡良瀬のヨシについて、引き続きその特性を探り、用途について検討していきたいと思います。

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